つけ麺の発祥っていつ?

今では世間一般にも浸透し、食卓などで出ることもあるつけ麺。ラーメン屋でもつけ麺を看板メニューしている店も多く、その種類は細分化に細分化を重ね、トマト海老つけ麺などのような変わり種とも言えるつけ麺などもあります。

しかし、このつけ麺がどのように生まれて発展してきたかということについてはあまりよく知られていません。今日は、このつけ麺の歴史について迫ってみようと思います。


つけ麺の発祥については諸説あるようですが、もっとも定説となっている歴史は日本、しかも大勝軒から始まります。

東池袋大勝軒の創業者である山岸一雄という男がいます。彼は東池袋大勝軒を創業する前、東京都中野区の大勝軒で働いていました。山岸はいつも賄いで「湯呑み茶碗にラーメンスープを入れて、残った麺を別の皿に盛ったもの」をよく食べていたそうで、これがいわゆるつけ麺の元祖だと言われています。すると、この賄いと同じものを食べたいという声がお客さんたちから聞こえるようになったそうで、商品化の案が立ち上がります。

その後、試食をしてみたところ非常に好評を受け、1955年に「もりそば」として売り出し始めました。


もりそばは冷やし中華を参考にした甘酸っぱいスープに、麺を通常のラーメンよりも30%ほど増したボリューミーな見た目のものでした。

1970年代につけ麺ブームが起き、「もりそば」という名称以外にも「つけそば」「つけめん」「中華盛り」などといった名前で人気を博しました。またこのとき、元祖つけ麺大王という店がつけ麺という名称を使い始めたことをきっかけに、つけ麺という言葉が広く一般的になったとも言われています。


以降つけ麺は日本において広く親しまれ、大衆にも受け入れられる人気のラーメンの一つになりました。

しかし、この時代にはいわゆる魚粉のつけ麺はまだ存在しません。

魚粉の乗った濃厚魚介豚骨スープのつけ麺が登場するのは2000年代に入ってからのことです。埼玉県川越市の頑者というラーメン屋が自家製の極太麺に濃厚なつけだれをつけ、さらにその上には魚粉が振りかかっているというラーメンを発案します。

これが大きな人気を博し、2005年ごろには日本各地へと広まりました。

この頃は第二次つけ麺ブームとも呼ばれており、2009年には日本全国のつけ麺だけを集めた「大つけ麺博」なるイベントも行われ、大変人気を博したそうです。


つけ麺に関する歴史を知れば、つけ麺を食べるときにこれまでとは違った深みを感じることができます。

また、これまでのラーメンにはない新たなつけだれを使ったラーメンも日々現れ、つけ麺の発展はとどまることを知りません。

新たな歴史を刻む瞬間を見逃さないよう、これからも動向をチェックすることは欠かせないでしょう。

阿藤豊